ふぐ塚とシンスケ

ある宵、東京ふぐ料理連盟理事長を名乗る米寿が来店され、

「お宅のおばあさんにご尽力いただいた顛末を、ご家族に伝えておきたい」

と語りはじめた。

今から50年近くも前のこと。 ご年配の弟弟子にあたる上野のフグ料理店「さんとも」初代が、不忍池・弁天堂横にフグの供養塚を建てたいと発案。 しかし、何をどうして良いかツテがない。そこで彼は兄弟子を頼り、兄弟子は組合で知己のあった我が祖母を頼った。

祖母は、ご常連でシンスケ入口のツクバイを彫ってくださった入谷「川名石材店」を紹介。また、彫像のモデルとして倅(三代目)の同級生が営む魚河岸仲卸「丸豊」に、奉納に値する最上級のトラフグを依頼したのだという。 こうして昭和41年フグ塚(供養碑)は無事に落成したのだが、縁とはまことに不思議なもの。平成最期のいまにして、なんと我が子の担任=発案者の孫と判明した。これには関係者全員がびっくり。


「因果律」という言葉にはネガティブな意味も多々含むのでこれまで忌避してきたけれど、善きことを起因とする螺旋であるならば、時代を超えてポジティブにめぐり合わせてくれるのだなと知る。おばあさん、ありがとう!

※ふぐ塚は蓮池の近くに、今も堂々とした「ふくれっ面」をたたえている。