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シンスケのこれまで

正一合の店 シンスケ

江戸後期の1805年に升酒屋(酒屋)として創業。

7代目まで商いを続けるも、1923年の関東大震災で倒壊。

復興がなされた1924年、酒場「シンスケ」として再出発し、当代亭主は4代目にあたる(家業11代目)。

いまでは珍しくなった【瓶ビールと日本酒が主軸のオールド東京スタイル酒場】。

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昭和20年代後半の店内
(当時の常識・カウンター上部に「下屋の短のれん」がかかっている)
正しく一合量り売り

昭和の初めごろ、酒を置く飲食店(煮売り屋・居酒屋)のなかにはいわゆる「上げ底」、営業利益を出すため酒の量をごまかしてを売る店も少なくなかった。

しかし、酒屋7代目であり、酒場初代となった矢部吾助は「酒屋時代と同じように、まっとうにお酒を量り売るべきだ」と標榜。

店名の横に、あえて「正一合の店」というキャッチフレーズをつけてその志を表した。​

以降、シンスケの基準は「正一合」であり、ちょい飲みの場合は「半替わり(正半合)」と呼ぶ。

2020年、吾助が遺した資料から【昔の酒屋では、一升を1/2、1/4という単位で捉えていた】と知った酒場4代目が、この単位の再発見を提案。

ほどほど飲みの場合は「1/4シブイチ(正二合半=一升の1/4)」、しっかり飲みの場合は「2/4シブニ(正五合=一升の1/2すなわち2/4)」と表し始めた。

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初代・吾助
秋田の銘酒「両関」ひとすじ

江戸において、上酒といえば「灘・伏見の下り酒」。

それは醸造科学が未解明のなか、かの地が日本酒造りに最適な風土だったこと。そして、海路で輸送中、上下左右に揺られることで、樽の中の酒が陸路よりもひときわ香り高く美味しくなったことがその理由。

ちなみに「くだらない!」という言葉の語源は、「そんなのは、下り酒のように美味しくない=取るに足らないものだ」からきている。

江戸が東京に変わってもその価値観は継続していたが、明治40年の第一回全国清酒品評会にて、秋田湯沢にある両関酒造がなんと灘・伏見を抑えて一等を取るという快挙。

当時酒屋だったシンスケは、酒問屋の依頼で両関を置くようになり、いまや100年以上のご縁を結ぶ。

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二代目・友治
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三代目・敏夫
肴は酒に寄り添うもの

居酒屋は歴史的に「もともとは煮売り屋(食べ物屋)だったが、酒を置き始めた店」と「もともとは升酒屋(酒屋)だったが、肴やイスを置き始めた店」という2つの成り立ちがある。

シンスケは後者であり、だからこそ商いの原点たる「居酒(飲酒)」という行為にフォーカスし続けています。

また、それゆえに肴は酒よりもでしゃばる「料理」であってはならない。

とはいえ、美味しいにこしたことはないから、厨房では調理科学を駆使して仕立て、けれど見た目にはそっけなく映るように。

それが当代シンスケの調理コンセプトです。

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昭和40年代後半の店内
(仲條正義氏デザイン。下屋のれんをガラスに替えるなど細部の設えまで端正に調整された)
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​現在の3代目と盟友・四谷シモンさん
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